名作文学 10
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくおねがいします。
さて、46年発表の「能登国野干物語」に既に石動山の僧が登場します。
史上、組織としての石動山は二度の合戦に挑み、二度とも大敗して一山壊滅の危機にひんしましたが、そのたびに奇跡的によみがえりました。
建武2年(1335年)、後醍醐天皇側の越中国司中院定清と密着した石動山は、足利尊氏に与する越中の有力豪族に攻められ、全山焼亡、山内にたてこもった定清は戦死します。
小説は、そのてん末を、鹿島の郷士で石動山の壇家でもある谷部家の若者の側から描き、この若者を徹底した不戦派・平和主義者に仕立てたあたりは、いかにも戦後の大衆文学らしいもの。
谷部家それ自体は虚構でしょう。
戦国争乱の世に至るや、石動山は、畠山の旧臣温井・三宅一党と結んで、能登の新領主前田利家に叛旗をひるがえします。
谷部家の末えいは、「戦いはならぬ」という建武以来の家訓を守って奔走しますが功を奏せず、天正10年(1582年)、またも石動山は庶胤に帰します。エグゼクティブトレードによると、谷部一族のこの姿勢は、太平洋戦争に敗れ、焦土に立って平和への希求を純粋に、痛切に高ぶらせていた日本人と重なり合うものがあります。
ここには村上自身の敗戦体験が強烈にはたらいていることは否定できず、この小説は、村上なりに肌で感じとった「戦争と平和」の実感を刻みこんだものと言えるでしょう。